「モーター作りから始める 有馬 朗人」リレーエッセイ1-⑫

モーター作りから始める

有馬 朗人
元東京大学総長、元理化学研究所理事長
元文部大臣、元科学技術庁長官兼務

物理学に興味を持ったきっかけは人それぞれであるが、私の場合は電動モーター作りと電池式ラジオ作りであった。
小学校4年生の夏休みに、ブリキ板を長方形に切りそれをΩ型に曲げ、二つの脚の部分に縜巻銅線を巻いて電磁石を作った。また丸い鉛筆を二センチメートルぐらいに切り、それに縜巻銅線を巻き、芯をぬいてそこに真直な針金を入れて廻転子を作る、というようにして電気モーターを作った。電池につないだら回転したことが嬉しかった。

5年生の頃まで幾つもモーターを切ったが電池が高くて困り、安くモーターを廻す方法がないか考えた。理科の本に水は殆ど電気を流さないが、塩や重曹を溶かすと電流を流すようになると書いてあったことに注目した。ガラス容器に水を入れ、電燈線の一方にブリキを小さく切ったものを付け、ガラス容器の片方に置く。同じようなブリキの小片に電線を付け、それをガラス容器の反対側に置く。この電線の反対側をモーターの電極の一方に継ぐ。モーターのもう一方の電極は電燈線のもう一方に継いだ。

こうしておいて、ガラス容器に水を入れて電燈線の電流を流す。はじめは、全くモーターは回らない。そこで重曹を少しずつ水に溶かし込む。すると、ある量の重曹が溶けた頃からモーターがゆれ始め、もう少し重曹を入れると見事にモーターが廻ったのである。こうして重曹や食塩は電解質で、水に溶かすと電離してプラスとマイナスのイオンを生じることを自習し、その応用に成功した。それと同時に後に中学校3年で学ぶことになるオームの法則を自分で発見した。

小学校6年生の一年間は中学受験勉強で工作は全くやれなかったが、中学に入って再び無線通信機や電池式ラジオの工作に熱中した。特に作ったラジオから放送が聞こえてきたときは飛び上がって喜んだ。

中学校2年生の3学期から軍需工場に動員され敗戦を3年生の8月15日に迎えるまで、昼夜3交代で旋盤工をやらされた。敗戦の翌年父親が死に、無職の母と生活費をどうするかという状況に落ち入り、中学校(旧制)の4年生の時から住み込みの家庭教師としての生活が始まった。中学校(当時は5年制)の4学年を修了したとき、卒業を待たずいわゆる飛び入学で旧制武蔵高等学校に入学した。しかしそれ以後大学院3年生修了まで、放課後は毎日アルバイトアルバイト、それも週に何回かは2軒家庭教師で廻るとか、夏休みなどは区役所の臨時職員に雇われるとかで、ありとあらゆるアルバイトをして、生活費教育費を稼いだ。というわけでもう電気工作や実験をする時間が全く無くなった。

中学4年生のときアインシュタインとインフェルトの「物理学はいかに創られたか」を読み、理論物理学の面白さを知り、理論物理ならアルバイトをしながらでも学べると思い、理論物理学者になろうと決心した。高等学校3年生の1949年、湯川秀樹先生がノーベル物理学賞を受賞されたことも、大いなる励ましであった。こうして私は理論物理学を今日まで研究することになったのである。

【略歴】

出身地 大阪府大阪市
出身高校 私立(旧制)武蔵高等学校
大学・大学院 東京大学理学部物理学科 理学博士
主な職歴等 ニューヨーク州立大学ストニーブルク校教授
東京大学理学部教授、理学部長
1989年東京大学総長、1993年理化学研究所理事長
1998年文部大臣、1999年科学技術庁長官兼務
その後、日本科学技術振興財団会長
現在  武蔵学園長、静岡文化芸術大学理事長

 

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